

PHP研究所
地方人にとっての永年の悲願であった地方分権改革は、平成11年に成立した地方分権一括法によっていよいよ加速するかに思えた。そして、地方分権を担保する税・財源の移譲も当然加速するであろうと思われた。しかし、権限、税・財源の移譲とも遅々として進んでいないというのが偽らざる現実である。市町村にとっての「権限」「税・財源」とは、それを使って創意、工夫のまちづくりができるようなものを意味する。いま、そのような意味の権限、税・財源の移譲がどれほど進んでいるのであろうか。
「移譲」ではなく「委譲」という漢字が使われることが多いが、地方人から見れば、権限等は「移して」もらうべきものであって、「委ねて」もらうべきものではない。大体、ある権限を移譲できるかどうかは誰が決めるべきものであろうか。ある権限を使いこなせるかどうかは市町村自身が判断すべきで、国や県が「これはいい、これは悪い」と決めるべきではないと思う。少なくとも本格的な協議の場がもたれるべきであろう。
国庫補助負担金を削減して一般財源化を図る動きの本格的第一陣が児童保護費等負担金(公立保育所運営費)の廃止とは驚いた。次世代育成支援対策推進法の精神はどうなるのであろうか。民間資本の少ない地方においては、子育て支援としての保育所経営は行政が担っていることが多いのである。一般財源化するのであれば、少なくとも削減される分に見合う額が交付されるべきであろう。たとえ交付税措置が講じられるとしても、肝心の交付税総額が大幅に削減されているのであるから、ほとんど意味がない。
地方分権改革の受け皿として、また地方財政危機対策の手段として市町村合併が強力に推進されていることは今さら言うまでもない。当町も例外ではなく、他の二町とともに法定合併協議会を立ち上げて協議中である。そのような渦中の身なればこそ感じるのであるが、合併特例法の財政支援措置の規模は余りにも不明確且つ露骨であるとともに、短期間過ぎると思う。私は自治体運営の合理化と集約化のためにも、合併自体を否定するものではないが、合併する当事者は他人同士である。お互いをよく知り、仲良くやっていけると同時に、10年、15年後に独り立ちして十分やっていけるかどうかを見極めるには、ある程度の期間が必要である。国の強力な合併推進方針が打ち出されてから、まだ3年からせいぜい4年程度である。このような方針がさらに全国の市町村に浸透していくには、さらに1、2年は必要である。にもかかわらず、平成17年3月までに合併を成立させなければ財政支援措置は受けられなくなってしまう(現行合併特例法による)。
結婚して一生付き合っていける相手を選ぶには、じっくり時間をかけて、住民にも十分理解してもらうことが不可欠であるが、そうしていたのでは魅力的な財政支援措置は受けられなくなってしまう。支援措置の具体的内容はいま一つ不明確ではあるが、とにかくもらえるものはもらわなければ、ということで、合併の相手探しと合併協議とを急ぎすぎてしまうのである。新市が本当に独り立ちしてやっていけるかどうかは、財政支援措置が原則として終了する10年後以降にならないと判らないのにである。
当町では一部教育委員の公募制を取っている。もちろん、公募制とは言っても、現行法上教育委員の任免権が首長にある以上、最終的には首長が選任するのであるが、人選に当たって広く適任者を募るべく、応募者の中から小論文や面接等によって選考している。その結果、5人の教育委員のうち、教育長を含む3名が女性であり、年代も40代から60代までとなっている。
当町の属している栃木県下都賀郡では、同郡・市内の二市八町の教育委員らがメンバーとなって、「下都賀採択地区教科用図書採択協議会」を構成しているが、平成14年度の歴史教科書の採択について、公立中学校で日本で初めて某出版社の教科書が採択されるのではないかということで大きな問題となったことは、まだ記憶に新しいところである。どうしてこのような事態になったのか、その原因は色々あるが、私は一番の問題は、教育委員会が本来の権限と機能を果たすことが疎かになってしまったのではないかと思っている。最終段階で各市・町の教育委員会がこのことに気付き、再度採択協議会において協議した結果、某出版社の教科書は採択されないことになり、私も安堵した。今日の教育行政は、日々発生する深刻な課題に対して、高度な知識と専門性が必要である。教育委員会を今のような制度として維持するのであれば、市町村独立行政委員会として、その市町村独自での教育行政施策が実施できるよう、もっと教育委員会の権限と、教育委員一人一人の責任を明確にするべきであろう。
現在の市町村教育委員会には、教職員に対する最終懲戒権もなければ、校長に対する人事権もない。教職員は権教育委員会の辞令を受けており、もともと市町村への帰属意識は低い。しかし、市町村は学校設置者として、学校内で事故や事件があれば法的責任を問われる可能性がある。これでは不公平ではなかろうか。県が採用した教職員を市町村に「貸し与える」という印象を持たざるを得ない。学校という「器」は市町村に造らせて、「スタッフ」は県からというのでは、市町村は何となく「おもしろくない」のである。教育委員会制度や教職員の採用、人事権等についても是非権限と財源の「地方分権」を実現すべきであると考えているのは私一人ではないと思う。